
たとえば2歳を「成人」と捉えるならば。
私たちGIJ(ジェネラル・イメージング・ジャパン)は、一人ひとりがゼロ歳から百歳まで映像創造を人生の心豊かな友としていく、という「生涯映育」の活動を推進しています。この取り組みに対して、DGP2012「デジタルカメラグランプリ」企画賞が与えられました。
生まれたばかりの子の発育記録として母が写真を撮り始める。「千年の映育」(ページ下段)の考えに立って2歳をひとかどの成人と捉えるならば、撮られる対象だけでなく撮影者としての個性がすでに始まっているといえます。スタートから真の創造のたのしみに触れることによって、ひとりの人間の生涯の映像創造は豊かに更新をつづけ、深まっていくといえるでしょう。
目を輝かせて撮ること。それが、映育。
2011年10月、東日本大震災の7ヶ月後、私たちは岩手県釜石市立釜石小学校を訪れ、全校生徒にカメラを届けました。忘れられない出会いとなりました。「自由につかわせてみたいと思います」と先生がおっしゃったように目をきらきらさせた少年少女たちはとびきりの写真を量産してくれました。心が動いたらシャッターを押す。ときにはそれがことばよりもっとたくさんのことを語ることがある、とあらためて痛感しました。
だれかから強制されてではなく、自分自身で自分自身を高めていく、育てていく。それが映育と考えますから、いうまでもなく子どもの情操にかぎることはありません。ゼロ歳から百歳まで、つまり全生涯における前進活動であると私たちは考えます。生涯を通じて、その豊かさを実践していただきたい。それが「生涯映育」にこめた願いです。
「生涯映育」が「千年の映育」となる。ー 小宮 弘
人は100年間を生きるのが難しいと考え、90歳まで生きれば長寿と考える。また60歳、70歳を過ぎると余生を如何に送るかというような考え方が一般的である。しかし、デジタル時代が本格化し、情報質量ともにアナログ時代に比して、10倍速で得られるようになった。人の生きるスピードも10倍速になり、ゼロ歳から百歳までの100年の生涯は千年に値する。
日本も第二次大戦敗戦から60余年、焦土から立ち上がり、ひたすら成長を求め、進めてきたが、近年明らかに成長に翳りが生じ、繁栄から爛熟、頽廃、衰退の道を辿っているかにみえる。特に2011年3月11日の東日本大震災、大津波、原発事故により、更に不安と不満が拡がり、日本の前途が暗いものとなってきた感がある。
一方で、この震災から立ち直り、むしろ、新たな価値を創造、実現していく好機会と前向きに捉え、単なる豊かな社会、生活から「心の絆で結ばれた社会、心豊かな生活」にシンカ(進化、深化、新化、真化、信化、そして、心化)をしていく時代に到ったと考える。危機すなわち「危険を機会ととらえる」ならば、いかにして、機会として困難を乗り越え、生かしていくかを考えることが肝要になってきた。
世界も日本も「成長・繁栄の時代」が終焉し、「共生・共存の時代」になった。そして、高度成長時代に築き上げてきたハードの技術力、製造力の先進性、優位性が価値創造の主流ではなく、ソフトの共有性、即時性がこのデジタル時代の最大の価値創造・実現となって、真のデジタル時代に到っている。
大量消費時代のように、全体の幸せを求めるのではなく、ひとり一人の生きる幸せと喜びに寄与していく事がこの「共生・共存の時代」に大切になってきたと考える。生を受けてゼロ歳から天寿を全うするまで、いや、その間に、寿命が来たとしても、百年を何回も生きていくことと考えれば、心豊かになるのではないか。一人ひとりが日々「シンカ」をして、自らの幸せを築き上げていくことに、私達が少しでも資していくことができれば、最高の歓びである。



